孤独になるということ 反応しない練習

父親は、テレビやワイドショーばかり見て、たまに不平不満愚痴を母に言って、私には命令や小言を毎日注意することがお仕事で、仕事で稼いでくることを誇りにして、プライドにしている。

 

母も最近仕事を始めたが、情緒不安定型パーソナリティ障害で、私は母親の機嫌に左右されながら、生活している。

 

彼らは若い頃から、息子の自主性を重んじず、いい大学、いい企業に就職させることが使命のように、私も弟しつけられた。

 

私も弟も確かに自己愛性パーソナリティ障害なところがあるが、私は自分を責めて苛め過ぎたのが禍して、自己肯定感が極めて低く、それが元で、最近、身近なスタッフに時間と労働を搾取する人間になっている。

 

そして、それをとがめる母親の鈍感さには、辟易したが、わかりきっていることを注意されたり、あまりにも頭が悪い親だと思っていたが、最近、それは、親自身が心理的に自分を操作しようとして搾取させようとしていることに気付き、

 

私のすべきことは

 

入院しないこと

 

親と距離を知らず知らずにとりながら相手にしない。反応しない。そっぽむく練習。

 

孤独を愛し、一人ぽっちでも全然平気だと思えるようになること。

 

一人暮らしを一刻も早くする練習をすることだと理解した。

統合失調症になって入院しない為に必要なことその三

統合失調症にならない為に必要なことその三

物事を完璧にこなそう、あるいは一日で終わらせるようにしなければと私たちはついついその場の思考の重力にとらわて思ってしまいます。仕事でしたらある程度仕方ないのかもしれませんが、妥協することや完璧に囚われないことも物事を依存しすぎないためには必要なことだと思います。

YouTuberがああいっていたから絶対的にそれが正しいから親が間違っていると思う人もいるでしょう。しかし私は情報は確かに正しいし行動できたら嬉しいですが、その為にあなたの身近な家族を変えることは出来ないということ。人は変えられないのてす。折り合いをつけることが大切です。

何事も極端はよくないです。何事も絶対はないということをYouTuberの方で言ってらっしゃる方が居ましたけれども、私もそうだと思います。「絶対に~しないほうがいい」ではなく「なるべく~するようにする」に変えて、身に余る情報は取捨選択して捨てることを覚えましょう。

そうすることで感情的になるのを防ぎ、口煩い母親の恐ろしい攻撃をのれんのようにかわすことができます。自分軸を持った生き方はなるべく自分が興味あることしたいを目を背けず親の体裁など構わずに出来る程の気概が必要です。自分を持つと角が立つけど自分がなくてもいけないのです。

母親との共依存をなくし、トラブルを少なくする為には母親以外の人の意見を参考にしながら、内にばかりこもるのではく、外へ依存先を見つけたり、失敗しても外側へ発信し続けていくことが唯一の手掛かりとなります。それがADHDをコントロール統合失調症的にならない為に必要です。

誰しも傷つきたくないと思います。私もそうです。家族や会社の人間関係で悩んでいる人はタイムリーにトラブルが起きます。テレビやネットでは成功者と比較され劣等感を植え付けられるがあります。大切なことは何でしょうか。本当に幸せになることですか?本当に成功することですか?

幸せになり、成功することよりも大切なことはなんでしょうか。今までのように成功者と呼べる人が他の人からお金を搾取するあり方の成功の価値観はこれからどんどん崩れていきます。大切なことは健全な労働のあり方を国ばかりではなく、人々が個人レヴェルで見つめ直すことです。

健全な労働とは今までのような家庭をなおざりにした、長時間労働ではありません。自然災害が何故これほどまで甚大な影響を及ぼしているのか。それは我々の暮らしや文明を根本から見つめ直し変える教訓を与えているその一つに自然や神々を大切にしなければならないことを伝えています。

頭に来ないために必要なことは、柔軟な考えやニュートラルな思考を持つこと。頭だけでなく、体を使うこと、自然環境のなかに身をおくことなどがあげられます。そしてお祈りや信仰を習慣化させることで頭にこなくなります。本来感情的になりにくい人は痛みに鈍感で気がつきにくいです。

真面目に生きよう、真剣に生きよう、頑張って生きている人は本来頭にきやすく、半分は仕方のないことです。だって心が優しく繊細な人が多いからです。逆に鈍感な人は感情的になることなく器用にこなすことができますが、大切なことを見落としやすい欠点を私は持っていると思います。

自己をあるがままに認め自己肯定感を高めるためにはシンプルで簡単だけれども毎日こなすことが重要な目標を立て40%ね力で実践可能なことをコツコツと積み重ねることと、長所も短所も含め自分なんだと俯瞰してみる目線が必要です。そして達成したら自分を褒めることです。

統合失調症を再発させないためには何としても精神薬の服薬を忘れず、医師や専門家の意見を大切にしてください。その上で、完璧に囚われず、自分を認めてあげて他でもない自分自身を好きになってください。自分を好きになればあらゆることに興味がわき、夢中になれます。

統合失調症になって入院しない為のヒントその二

統合失調症になって入院しない為のヒント2

多くの人は自分が何故精神科病棟の保護室に運ばれたのか、その経緯やつじつまが会わないで悩む人もいます。脳に一気に情報量が過剰に分泌して感情的に敏感になって入院しているだなんて、多くの人は気づいていないでしょう。そして刺激からさけ頭を休ませる為に保護室に入ります。

メールの未保存ボックスに自分の計画のメモを一日中書き込む行為も依存症的な行為であるのがわかりました。そんなことをして有益なことは何一つ生まれず脳は疲れる一方だと知りました。人間が一日に出来ることは限られています。完璧に過密スケジュールなど立てても誰もこなせません。

保護室では、携帯ばかりでなく、本や書く紙やペン、ウォークマンまでもが没収されます。実際に私はそれを経験してみて、それなしでは生きれなかった自分、それに依存的になって200年前の健全な世の中で生きることが不可能になり情報過多になり無理して生きてきた自分に気がついたのです。

四季の変化に敏感になる草木草花の移ろい、昆虫や鳴く虫の違いなど私たちは感じずらい環境にあるため、本当は敏感に反応できる感受性を持っています。そしてそういった精神的で霊的なものを理解しようと育てるクラシック古典音楽や文学は私たちの深い感受性を豊かに育ててくれます。

時間のゆったりとした流れや緊張感や集中力を要する時節など、自然環境のなかで、古代人が時と場所によって使い分けていたこれらの感覚が人間には体に備わっています。統合失調症という病になってから、都会的文化だけでは本当の豊かさは育まれないことに気がつきました。

私はこの世の中に必要なのは規律と道徳教育であると思います。それは私が痛い思いをして気づいたことです。そしてキャンプや自然と触れ合う機会を増やすことで地球のことと世界の平和のことをゆっくり向き合う時間がアニメやゲームを見る時間も大切ですが必要になってくると思います。

人類にラジオが誕生したときもそれをスマホみたいによくないと怒った人はいました。私たちの文明は多くの戦争や労働や多くの飢餓の上に成り立って現代人はその不幸に幸福になりたいと思っています。でも現実は絶望です。そこから安易な幸せじゃなく本当の歓喜が必要なのだと思います。

私が経験上絶対お薦めしない生き方に、精神科病院に入院すれば社会や家族や嫌な現実から逃れられるから入院したいと願い入院することです。そのような安直な動機で入院した経験のなかで、精神病院から出てこれなくなったとき社会復帰から遠退いてしまった時期が私にはありました。

もし社会や家族にストレスを抱えている場合はそれでもや無終えず入院しなくてはならないこともあると思います。それは患者ではなく、医師が決めることだからです。無理に入院させろというと悪い結果を招くので専門家の冷静な判断を必要とします。大事にならないための早期入院も必要。

私たちが幸福になろう、時間を大切にしようと意識して生活するほど、不幸なことはないと思います。人生や時間というのも人の寿命というものも天から与えられた頂き物だと私は思います。大切なことは日々自分に出来る仕事を見つけどんな小さな下らないと思える習慣でも世の為に働くことです。

例え朝、会社行く機会に恵まれない人でも、その為に一日10分、15分、朝起きたら散歩するだけでも仕事と呼べなくてもその人にとってはそれが仕事ですし、毎日必ずなにがあっても朝晩、お祈りすることも立派な仕事だと私はおもいます。

何で努力して働くことが、楽をして気持ちよくなることよりも大切なのか?非生産的で非効率で時代錯誤だという人もいるでしょう。ここでいう努力とは自分が30%40%の力で出来ることを毎日継続することです。それが単発的にドーパミンで気持ちよくなる方法よりも実は建設的なのです。

統合失調症やさまざまな精神疾患の総称として言われることがあります。私は幻聴は殆ど聴こえませんが、自分は統合失調症だとおもいます。理由はそこには働けていないことや日常のあらゆる障害が足かせになっていることがまだまだあげられます。しかし、私はそれでも人々の役に立つことはできると思います。

統合失調症になって入院しないためのヒントその一

統合失調症になって入院しない為に必要なこと

私は情報の渦にさらされていました。一見するとネットの情報が多すぎて頭がおかしくなるなど存在しなく、情報が多いほうがモチベーションが高くなり、行動的になると言う人さえいます。だが、私はそれでも多すぎるネットの情報は人間を本来的なあるべき姿から変容させてしまうと思います。

情報にさらされて、日常をそれに奪われそうな人は聴いて欲しいです。それが、有益な情報であったとしてもネットのシステム自体が、テレビゲームのようにあたかも情報や知識といった富に見せかけ、あなたを特別な存在に偽っているに過ぎなく、それは本来的な人間の営みではないことを。

そうは言ってもネットと一切無縁の生活を万人がおくれと言っているのではないです。ネットを利用するしないは個人の自由だし、ネットがあっても統合失調症にならない人は多くいるだろう。しかし、ネットや情報という富、裕福であることが依存症と心の病と無縁ではないことを豪語します

情報を独り占めしたくありません。今後与えることに徹する人のほうが分け与えない人よりも富を得やすいことについて矛盾はないです。情報過多が怒りをまねき、人間関係のトラブルをまねくということを発信する人が増えて欲しい一心で伝えています。

私たちは何故狂うのか?それを一言でいうなれば邪気に取りつかれた状態です。邪気という非科学的なものが信じられなかったらネガティブと呼んでも邪念と呼んでもいいです。私たちは邪気に取りつかれるとさもそれがもっともらしい答えで自分が特別な存在のように勘違いしてしまうのです

人が狂う怒りの原因は自己と他者の分離や所有物を分離するところからすでに始まっていて、その所有物や他者を無自覚に自分の思い通りにしようと楽して承認欲求を働かせたところからすでに始まっています。人は傷つくとその悩みにとらわれます。

傷つきやすい繊細な人は自分を大切にしてください。よく今まで生きてこれたと。怒りはよくないが怒らざる負えなかった事実を認め傷つきやすく敏感であったことなどです。

人は傷つく都度過去の因果やカルマに囚われ、未来の不安に対してのありとあらゆる投資と防衛措置をとります。しかし、一番大切にしなければいけないのは今この瞬間にシフトすることです。その為の方法は至ってシンプルです。睡眠や身体を動かすこととお祈りという瞑想をすることです

お祈りは脳科学的に見ても健康の秘訣の一つであり、それを日々の習慣にすることで心の安定に繋がることはよく言われていることです。祈りをすれば狂わなくてすんだりするのは感謝や慈しみの謙虚さをお祈りは本来育ててくれて縄文時代ではそれが常識でした。ADHDのような一つの物事に没頭して時間計画を忘れてしまう人がどうやったら情報過多から身を守れてマインドフルネス(瞑想や祈り)や時間を有効活用して習慣化できるか自分なりに考えてみた結果、小さなコツコツできる習慣を少ない数からこなしていくことと自由時間を設けることです。

私のような重度のADHD患者に高度なタイムマネジメントなど使いこなせません。シンプルだけど重要性の高いものをいかに絞って少なくし習慣化させるかです。そのほうが長続きして、現実的にポジティブである。それにはやはり時間がかかりケースワーカーや色々な人と話し合わないといけません。
何故情報過多がいけないのか?情報は脳を活性化させ、モチベーションをあげ行動力の原動力となってくれる非常によいものです。しかしそれを妨害する人が100%悪いのでしょうか?一番重要なことは能力者になることではない。純粋な心を持つ人が生きやすい社会だと思います。

スマホに至りそういう便利さは幸福な社会だけでなく自然災害や人間の人体に影響を及ぼしていることについて、未来は古くからある伝統や宗教、自然を大切にしそこから教訓をまなばなければならないことを伝えています。

現代人の悩みの多くの殆どが人間関係です。人間関係さえうまくいけばというここでも所有物の思考が無自覚に我々の脳裏に思い浮かびます。こういうときは古くからの神道の教えが役に立ちます。この世の中で、人間の所有物はないという考えがあります。肉体から思考に至るまで、天地の神様のものだということです。

仏教の教えに勉学や健康にいくら気を付けても不安や悩みは消えることはないという教えがあります。いかに完璧に健康なライフスタイルを築けても、幾ら有益な情報発信ができても、不安や悩みや疑問は尽きることなくやってきます。逆に捨てたり求めない人はそれだけですで身軽で楽です。