統合失調症になって入院しない為のヒントその二

統合失調症になって入院しない為のヒント2

多くの人は自分が何故精神科病棟の保護室に運ばれたのか、その経緯やつじつまが会わないで悩む人もいます。脳に一気に情報量が過剰に分泌して感情的に敏感になって入院しているだなんて、多くの人は気づいていないでしょう。そして刺激からさけ頭を休ませる為に保護室に入ります。

メールの未保存ボックスに自分の計画のメモを一日中書き込む行為も依存症的な行為であるのがわかりました。そんなことをして有益なことは何一つ生まれず脳は疲れる一方だと知りました。人間が一日に出来ることは限られています。完璧に過密スケジュールなど立てても誰もこなせません。

保護室では、携帯ばかりでなく、本や書く紙やペン、ウォークマンまでもが没収されます。実際に私はそれを経験してみて、それなしでは生きれなかった自分、それに依存的になって200年前の健全な世の中で生きることが不可能になり情報過多になり無理して生きてきた自分に気がついたのです。

四季の変化に敏感になる草木草花の移ろい、昆虫や鳴く虫の違いなど私たちは感じずらい環境にあるため、本当は敏感に反応できる感受性を持っています。そしてそういった精神的で霊的なものを理解しようと育てるクラシック古典音楽や文学は私たちの深い感受性を豊かに育ててくれます。

時間のゆったりとした流れや緊張感や集中力を要する時節など、自然環境のなかで、古代人が時と場所によって使い分けていたこれらの感覚が人間には体に備わっています。統合失調症という病になってから、都会的文化だけでは本当の豊かさは育まれないことに気がつきました。

私はこの世の中に必要なのは規律と道徳教育であると思います。それは私が痛い思いをして気づいたことです。そしてキャンプや自然と触れ合う機会を増やすことで地球のことと世界の平和のことをゆっくり向き合う時間がアニメやゲームを見る時間も大切ですが必要になってくると思います。

人類にラジオが誕生したときもそれをスマホみたいによくないと怒った人はいました。私たちの文明は多くの戦争や労働や多くの飢餓の上に成り立って現代人はその不幸に幸福になりたいと思っています。でも現実は絶望です。そこから安易な幸せじゃなく本当の歓喜が必要なのだと思います。

私が経験上絶対お薦めしない生き方に、精神科病院に入院すれば社会や家族や嫌な現実から逃れられるから入院したいと願い入院することです。そのような安直な動機で入院した経験のなかで、精神病院から出てこれなくなったとき社会復帰から遠退いてしまった時期が私にはありました。

もし社会や家族にストレスを抱えている場合はそれでもや無終えず入院しなくてはならないこともあると思います。それは患者ではなく、医師が決めることだからです。無理に入院させろというと悪い結果を招くので専門家の冷静な判断を必要とします。大事にならないための早期入院も必要。

私たちが幸福になろう、時間を大切にしようと意識して生活するほど、不幸なことはないと思います。人生や時間というのも人の寿命というものも天から与えられた頂き物だと私は思います。大切なことは日々自分に出来る仕事を見つけどんな小さな下らないと思える習慣でも世の為に働くことです。

例え朝、会社行く機会に恵まれない人でも、その為に一日10分、15分、朝起きたら散歩するだけでも仕事と呼べなくてもその人にとってはそれが仕事ですし、毎日必ずなにがあっても朝晩、お祈りすることも立派な仕事だと私はおもいます。

何で努力して働くことが、楽をして気持ちよくなることよりも大切なのか?非生産的で非効率で時代錯誤だという人もいるでしょう。ここでいう努力とは自分が30%40%の力で出来ることを毎日継続することです。それが単発的にドーパミンで気持ちよくなる方法よりも実は建設的なのです。

統合失調症やさまざまな精神疾患の総称として言われることがあります。私は幻聴は殆ど聴こえませんが、自分は統合失調症だとおもいます。理由はそこには働けていないことや日常のあらゆる障害が足かせになっていることがまだまだあげられます。しかし、私はそれでも人々の役に立つことはできると思います。