統合失調症になって入院しないためのヒントその一

統合失調症になって入院しない為に必要なこと

私は情報の渦にさらされていました。一見するとネットの情報が多すぎて頭がおかしくなるなど存在しなく、情報が多いほうがモチベーションが高くなり、行動的になると言う人さえいます。だが、私はそれでも多すぎるネットの情報は人間を本来的なあるべき姿から変容させてしまうと思います。

情報にさらされて、日常をそれに奪われそうな人は聴いて欲しいです。それが、有益な情報であったとしてもネットのシステム自体が、テレビゲームのようにあたかも情報や知識といった富に見せかけ、あなたを特別な存在に偽っているに過ぎなく、それは本来的な人間の営みではないことを。

そうは言ってもネットと一切無縁の生活を万人がおくれと言っているのではないです。ネットを利用するしないは個人の自由だし、ネットがあっても統合失調症にならない人は多くいるだろう。しかし、ネットや情報という富、裕福であることが依存症と心の病と無縁ではないことを豪語します

情報を独り占めしたくありません。今後与えることに徹する人のほうが分け与えない人よりも富を得やすいことについて矛盾はないです。情報過多が怒りをまねき、人間関係のトラブルをまねくということを発信する人が増えて欲しい一心で伝えています。

私たちは何故狂うのか?それを一言でいうなれば邪気に取りつかれた状態です。邪気という非科学的なものが信じられなかったらネガティブと呼んでも邪念と呼んでもいいです。私たちは邪気に取りつかれるとさもそれがもっともらしい答えで自分が特別な存在のように勘違いしてしまうのです

人が狂う怒りの原因は自己と他者の分離や所有物を分離するところからすでに始まっていて、その所有物や他者を無自覚に自分の思い通りにしようと楽して承認欲求を働かせたところからすでに始まっています。人は傷つくとその悩みにとらわれます。

傷つきやすい繊細な人は自分を大切にしてください。よく今まで生きてこれたと。怒りはよくないが怒らざる負えなかった事実を認め傷つきやすく敏感であったことなどです。

人は傷つく都度過去の因果やカルマに囚われ、未来の不安に対してのありとあらゆる投資と防衛措置をとります。しかし、一番大切にしなければいけないのは今この瞬間にシフトすることです。その為の方法は至ってシンプルです。睡眠や身体を動かすこととお祈りという瞑想をすることです

お祈りは脳科学的に見ても健康の秘訣の一つであり、それを日々の習慣にすることで心の安定に繋がることはよく言われていることです。祈りをすれば狂わなくてすんだりするのは感謝や慈しみの謙虚さをお祈りは本来育ててくれて縄文時代ではそれが常識でした。ADHDのような一つの物事に没頭して時間計画を忘れてしまう人がどうやったら情報過多から身を守れてマインドフルネス(瞑想や祈り)や時間を有効活用して習慣化できるか自分なりに考えてみた結果、小さなコツコツできる習慣を少ない数からこなしていくことと自由時間を設けることです。

私のような重度のADHD患者に高度なタイムマネジメントなど使いこなせません。シンプルだけど重要性の高いものをいかに絞って少なくし習慣化させるかです。そのほうが長続きして、現実的にポジティブである。それにはやはり時間がかかりケースワーカーや色々な人と話し合わないといけません。
何故情報過多がいけないのか?情報は脳を活性化させ、モチベーションをあげ行動力の原動力となってくれる非常によいものです。しかしそれを妨害する人が100%悪いのでしょうか?一番重要なことは能力者になることではない。純粋な心を持つ人が生きやすい社会だと思います。

スマホに至りそういう便利さは幸福な社会だけでなく自然災害や人間の人体に影響を及ぼしていることについて、未来は古くからある伝統や宗教、自然を大切にしそこから教訓をまなばなければならないことを伝えています。

現代人の悩みの多くの殆どが人間関係です。人間関係さえうまくいけばというここでも所有物の思考が無自覚に我々の脳裏に思い浮かびます。こういうときは古くからの神道の教えが役に立ちます。この世の中で、人間の所有物はないという考えがあります。肉体から思考に至るまで、天地の神様のものだということです。

仏教の教えに勉学や健康にいくら気を付けても不安や悩みは消えることはないという教えがあります。いかに完璧に健康なライフスタイルを築けても、幾ら有益な情報発信ができても、不安や悩みや疑問は尽きることなくやってきます。逆に捨てたり求めない人はそれだけですで身軽で楽です。